大会との愛憎関係......。でも、ほとんどは好きだ。

言葉の破壊者 006大会シーズン

漫画を読むオオハシ
笑顔のマルク・ベルナルダン

大会は嫌いだけど大好きだ。

無垢な都市に毎年、同じような志を持ったオタクたちが侵入してくるような素晴らしいものに対して抱くのは、確かに奇妙な感情だが、事実なのだ。

同窓会が大好きで、特にコミコンは、大学時代のクリスマスを思い起こさせる。キャンパスライフを離れていたみんなが休暇のために家に戻り、何度も夜遅くまで過ごしたあのダイナーに戻って、みんなと再会する。

私はそのプレッシャーが嫌いだ:大会の招待客ではない作家として、経済的な意味を持つ唯一の方法は、より多くの仕事につながる人脈を作ることだ。アーティストはスケッチやコミッションを、インカーはインクを、レタッチャーはメキシカン・ソーダや馬の精神安定剤(冗談!)の国境を走ることができるが、作家がその場でできることには誰もお金を払ってくれない。私は俳句を売ろうとしたことがある。それがどれだけうまくいったかは想像がつくだろう。ピッチを売り込み、仕事を獲得し、まばゆいばかりの都会人だと編集者に思わせ、間違いのない仕事をしなければならないというプレッシャーがコンを支配し、オタクの楽園での素晴らしい数日間を楽しむどころではなくなってしまうのだ。

この香りが好きなんだ。本当に。体臭がいい感じに熟した2日後の大会会場。そんな臭いのする人は、誰もそんな臭いを嗅ぎたくないからだ。なぜなら、彼らは1年間ため込んだ航空券やガソリン代、入場バッジ代をすべて使い果たし、コンベンション・センターから40分も離れた、共同シャワーがいつも壊れているようなしょぼいホテルで、ポケット四角分のフロアをシェアしているからだ。この匂いは情熱の匂いだ。最高の時間を過ごすために、そのすべてに耐えようとする人の匂いだ。私は内面が死んでいるので、そのような情熱は持ち合わせていないが、それを認識し、敬意を表して黙ってうなずくことはできる。

自分が年を取ったことを思い出させてくれるのが嫌だ。コミコンに参加するようになってもう12年になる。3日間フロアを歩き回っても膝が粉にならず、背骨が癒着する恐れもなかった。夜中の3時までハイアットの外をうろついていても、翌日の午前10時のパネルにはまだフレッシュでいられる。免疫システムがまだ完全に機能しており、常に妥協の淵に立たされているわけではなかった。毎年、もう1年経ったのだと思い知らされる。

しかし、私はコミコンで起こりうるランダムな驚くべきことが大好きで、大好きで、大好きだ。もちろん、私はプロであると同時にプレスの一員であるおかげで、とんでもない機会に恵まれてきた。しかし、もしコミコンがなかったら、ジム・リーにスタン・リーを紹介してもらうこともなかっただろう。メアリー・マクドネルに「妻がよければ、一緒に住んでもいいよ」と言うこともなかっただろう。ジョス・ウェドンのダンスパーティーを間近で見ることもなかった。アイズナーの審査員になることもなかったし、今ではお気に入りの本(『Blacksad』など)を読むように強要されることもなかっただろう。約10年前、ラリー・ヤングのAiT/PlanetLarに初めてグラフィック・ノベルの売り込みをすることもなかっただろう。

このコラムはアドバイスというほどでもないが、そのアドバイスというのが、コンをありのままに、ありのままに受け入れることでなければならない。完璧なコンは常に痛みを伴うが、ブライアン・K・ヴォーンが芝生に座ってコミックを読んでいるところに偶然出くわすような、超越的な栄光をもたらす瞬間もあるのだ。


マルク・ベルナディンの『Devourer of Words』は毎月第3火曜日にToucanに掲載される!

執筆者

出版

更新